2010年01月21日
平磯の塩づくり プロジェクト 《その二十》


私、迷鶏は、

絶えず、直ぐに熱を出したり、下痢をしていました。(今現在まで生きているのが不思議なくらい虚弱だった。)
発病すると直ぐに、母親は柱に架けられた手回しの電話(判るかなぁ)「


(でも、今から考えると保護過剰だぁ。放っておけば抵抗力が付いて丈夫になるのに・!?。)
お医者が四角い革鞄を持った看護婦を従えて、今の軽四位の



オースティン(当時、医者のステータスシンボル)の後部座席に収まって、
ボロンボロンと薄紫の排気と、エンジン音を立てながら往診に来る。

(歩いて5分と掛からないのに、


お医者は、お決まりの


難しい顔をして聴診器で音を聞き、胸を指でとんとん(そんなとんとんで病気が判るの?。)
注射、点滴は全然しない。そんな即効性の薬はなかった・・?

出された洗面器の湯で手を洗い、手拭で手を拭きながら、お医者は母親に「薬を、あとで取りに来るように」と告げて帰る。


あとは、毎日通ってきている「お手伝いさん」(言葉の表現が良くないかも。
介護士?お姉さん??「・・ちゃん」これが良い。)の、指図どおり決められた時間に体温計を腋に挟み、
ガラス瓶に入った苦甘いこげ茶色をした液体の薬を瓶の目盛りを見ながら「もう少し、もう少し」と言われて飲む数日。
病気になると最初は、お盆に乗せられた土鍋の「おも湯さん」と、小皿の梅干。お茶。匙、箸。
翌日は「お粥さん」を食べさせてもらった。
看護をしてくれた「・・ちゃん」15,16歳だった。私は4,5歳かな。
「・・ちゃん」は、私の書棚にあった「世界名作全集」に興味があったようで、
いつも寝ている私に読んで聞かせてくれた。




私は聞きながら眠った

何日か寝ていると段々か弱い身体も自然に快復し、お盆に乗せられた土鍋の中身が変わる。



おまけにバナナが半分付く時も・・



一所懸命尽くしてくれたのに、今では彼女の名前を思い出せない。
(確かめたい母親はもう居ない。

年寄りの繰言。そんな私的で感傷的なことをくどくどと。ご免

さて、本題の「ゆきひら鍋」私が幼い頃の「お粥さん」と「鍋焼きうどん」の土鍋は、
母親も、「・・ちゃん」も「ゆきひら」と言っていました。
私も、この塩造りをするまでは、あの形の土鍋は「ゆきひら」だとの認識です。
これです。垂水の商店街で買ってきました。
あなたは、この鍋をどう呼んでいますか?
いぃ加減なことは書けないので書棚から広辞苑を出してきました。
広辞苑曰く。
# ゆきひら・なべ{行平鍋}
(在原行平が海女に潮を汲ませて塩を焼いた故事に因み、塩を焼く器から起こった名。)
薄い褐色の陶製の平鍋。把手・蓋・注口のあるもの。「広辞苑第二版初秋版」より抽出
・塗ってある色は別として陶製の平鍋。よし。
・把手・・? そんなもの付いていない。鍋の上面対角線上に張り出した耳が二つある。これが把手かぁ?
・蓋。あり。よし。
・注口・・?鍋上面の一箇所に切込みがあるだけ。茶瓶のような鶴首?はない。
昔の私たち家族が呼んでいた「ゆきひら」は違うのかなぁ。
「ゆきひら」って「きゅうす(急須)の親分」的なイメージが当たっているのかなぁ。
でも、塩を造る土器としては私の思い込んでいる重たい土の平鍋を、
在原行平関連の塩汲み物語に因んで「行平」と呼びたいなぁ。
ところで皆さんは・この「行平(直径16㎝)」幾らだったと思います?


百円玉1つ・五円玉1つ。¥105.




平磯の塩づくり プロジェクト 《その二十八》
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